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パニック障害になった。

生活

パニック障害(Wikipedia)になった。
今は無事復職に至ったのだけど、この病気は長い付き合いになるとのことなので、復職までの道のりを備忘録として記録しておくことにする。それにひょっとしたら俺以外のパニック障害者の助けになるかもしれんし。日付とかは結構あやふやだけどその辺はご愛嬌。

前兆

最初のパニック発作が出るまでの約一ヶ月、ご飯が食べられなくなった。当時は胃の不調程度にしか考えていなかったが、今思えばあれは既に予期不安のような症状が出ていたのだと思う。胃腸関係ではなく、不安でご飯が喉を通らなかったのだ。その頃は不安になる要素もなかったので不安と気付かなかった。

発症

突然手足に痺れを感じ、みるみるうちに全身に痺れが広まった。あらゆる筋肉が硬直していたように思う。手足はもちろん、腹筋や背筋、顔面の筋肉まで硬直して全く動くことができなかった。同時に過呼吸になり、強烈な死の恐怖に襲われた。
救急車で運ばれるが、全身が硬直しているためうまくベッドに寝れない。自分の状態を救急隊員に説明しようとするも、喉、唇、舌全てが痺れているため話すことができない。話すどころか呼吸をするのに精一杯だった。発熱していたのか、恐ろしい量の汗をかいた。水浸しと言ってもいいほど全身がウェットになった。

病院に到着して診断を受けるも、まともに喋ることができず、医者は過呼吸と判断する。とりあえず点滴を打って体調が戻るのを待つ。この時、身体の感覚を失っていたため注射の痛みが無かったことをよく覚えている。気がついたら腕に管が通っていた。2時間ほどしてある程度痺れが取れ、歩ける程度になった。すると医者から「ただの過換気(過呼吸)だから、すぐ治ります。それではお大事に。」と言われて病院から放り出された。

帰路に着く途中、再度全身の痺れと過呼吸を起こし、本日二度目の救急車で病院に運ばれる。病院に到着する頃にはまた症状が悪化していて喋れる状態ではなかった。ひとまず過呼吸を落ち着けるため点滴を再度打ちベッドに寝かされる。意識も朦朧として、ぼんやりと天井を眺めてた。

しばらくすると医者がやってきて「非常に悪い状態ですのでご家族に連絡します。」と告げられる。ドラマとかで良くあるシーンだ、と思いながら声を絞り出し実家の番号を伝えた。この時も「死ぬのかな」と思った。運悪く親は遠方に旅行中だったので病院まで来れる状況ではなかった。さらにしばらくベッドで過ごした後、自力で親に電話を掛け事情を説明。近くの姉が病院まで迎えに来ることになった。電話をする際に気づいたのだが、握りこぶしを作る形で身体が硬直したため、掌の下部に爪が強く押し付けられた跡が付いていた。血こそ出ていなかったが、内出血のような状態だった。正常な状態ならば強い痛みを感じるはずが、全く気がつかなかった。
この病院の時点で「パニック障害かもね」とナースに告げられるも、全くそんなことはありえない、胃腸系が悪くてご飯を食べてなかったからこうなっただけだ、と思っていた。自分が精神病になるなんて全く考えられなかった。

発症の翌日

別の病院に検査に行く。血液検査やレントゲンで調べるものの異常無し。具合は相変わらず良くなかったので再度点滴を打たれた。前日の病院からの電話で、俺が倒れたということを祖母が知ってしまったので祖母に連絡をする。おばあちゃん、電話の向こうで声も出ないほど泣いていた。この時ばかりは自分の病気よりも、悪いことをしてしまった、という気持ちでいっぱいになった。

発症から2日後

今度はより大きな病院へ行くことにし、近くの大学病院へ検査をする。循環器科と内科で調べるも異常なし。精神病では無いと思い込んでいたので精神科には行かなかった。内科の先生にしばらく休んで様子を見てくださいと告げられる。それに従い会社を休むことになり、4ヶ月の休職生活が始まる。

発症から5日後

数日休みを取り、何度か点滴を打ち、ある程度体力が回復する。一方で、ひょっとしたら原因は精神的な物なんじゃないかと疑心暗鬼になる。そんなわけない、俺が精神病になんてなるわけがない、という強く否定したい気持ちがあり、会社に行くことを決意。会社に行って仕事して、俺は精神病なんかじゃないということを証明したいという思いで会社に向かう。

しかし残念ながら電車内でパニック発作を起こし、倒れる。「これはパニック障害かもしれない」という確信めいたものが心に芽生えてきたが、必死で無視していた。駅の医務室で休んだ後自力で病院に向かい、再度内科で検査をする。病院内でもパニック発作を起こし、動けないまま検査される。CTも撮った。それでも異常は無く、「精神的なものでしょうね」と言われ、ああ俺は精神病なのかと落胆する。この時、病院のベッドに仰向けに寝ていたのだが、猛烈な幻覚を見た。天井がドロドロに溶けて落ちてきた。天井が落ちてきた、当たってしまう、避けないと、と思うも痺れて動けない。頭がおかしくなりそうだった。というよりおかしくなっていた、と思う。この頃の左腕は点滴や血液検査や鎮静剤注射の跡が多数あり、直視に耐えなかった。

会社に休職の相談の電話をする。電話だけなのに不安に襲われ、手が震えた。

発症から6日後

この日改めて精神科に行く。当時、精神病は頭のイカれた人達のものというイメージがあったため、ついに俺も精神科か、と諦めと落胆の気持ちで処置室に入る。一線を超えた気がした。今まで「向こう側」と思ってた側に入った。
結果、典型的なパニック障害ですね、と診断される。「大丈夫ですよ、二週間程度で治まります」と言われ、全治二週間の診断書を貰う。ジェイゾロフト(抗鬱剤)を処方され、この日から1日1錠(25mg. 上限100mg)飲むようになった。

その後家に帰り、大声で泣いた。こんなに泣いたのいつぶりだろう。

発症から1週間後

一人暮らしが困難なため、千葉のアパートから実家に帰り療養することになった。全治二週間の診断書を届けるため、実家に帰る途中に会社に寄るが、会社には行けなかった。会社に行くということを想像しただけで冷や汗がダラダラと流れでた。診断書は父親経由で会社に渡してもらうことにした。

発症から2週間後

一週間ほど実家で過ごすが、この期間が一番辛い期間だった。不安でご飯は食べられない。不安で眠れない。朝は不安で起きる。無理やりご飯を食べようとするも不安で味がわからない。多くのパニック障害者と同じように鬱に襲われ、何日間もずっと死ぬことばかりを考えていた。長い人生楽しいこともあるよとは言うが、不安に襲われていてはなにも楽しめない。突然涙が出てきたり、嘔吐感に襲われたりする。家のなかで何もせず過ごしていて、ノンストレスのはずなのに何度もパニック発作に襲われる。

何度も死んだほうがマシだと思った。漫画なんかで「自殺する覚悟ができた」なんて事を言っているようだが、自殺するのに覚悟するくらいだったら自殺しないほうがいい。本当に自殺したくなったら、自殺する覚悟どころか「早く死にたい」としか思わなくなる。

死について強く想いを馳せるも、結局死ななかった。俺はおばあちゃん子なので、さすがにおばあちゃんより先に死んだらいくらなんでも申し訳ないという気持ちがあり、結局死には至らなかった。あの時期、家族がいなかったら自殺してた。

発症から3週間後

うつ症状は軽くなるも、パニック障害の症状は消えず、医者から全治一ヶ月の診断書を貰う。ジェイゾロフトが1日2錠(50mg, 上限100mg)に増えた。会社に再度連絡する。この時もまだ手や足が震えた。

試しに散歩を少しだけしてみたが、結果はダメだった。家から一歩一歩離れるたびに鼓動が早くなっていくのがよくわかる。手足に冷や汗がジワリと滲み出た。散歩を諦めて再度自宅に戻り、道路を眺めた。100mほど先を眺めては「あんなに遠くにはもう自分の足では行けないだろうな」という思いが込みあげた。

発症から4週間後

ようやく散歩をするようになる。空腹感も出るようになり、ご飯を食べる量が徐々に増えていく。パニック障害に関する書籍を読み、療養生活の質を向上させることに励んだ。日光を浴びたり、規則正しい生活を心がけたり、栄養バランスを考えて食事を取ったり、リラクゼーション法を学んだりと少しずつプラスの方向へ向かい始める。

発症から6週間後

実家内でのみ普段に近い行動が取れるようになる。この頃、ある程度パニック発作に対する「慣れ」ができてきた。以前は不安の竜巻に吸い込まれるような猛烈な死の恐怖に襲われたが、この頃は発作もあまり起こらなくなってきたし、発作が起きても「深呼吸、深呼吸。」とある程度落ち着いて対処することができるようになり、死の恐怖が和らいでいった。

発症から7週間後

社会復帰に向けてトレーニングをし始める。母親と一緒に近所のスーパーに買い物に行くが、やはり強い不安に襲われる。

発症から8週間後

千葉のアパートに戻り、社会に出るトレーニングを行う。激流の中にいるような不安に襲われる中、抗不安剤を服用しつつ電車に乗る。最初は母親が同行してくれたものの、その後は一人でリハビリをする生活が始まる。一人で電車に乗る時に必要な勇気、一人で乗れた感動、それは今でも忘れられない。

通院し、現状を伝えると薬の量を増やされた。1日3錠(75mg, 上限100mg)。
リハビリの一環として、会社に出勤する。かなり緊張するも何度か出勤し、朝会に参加する。今にして思えばまだリハビリを行うほどの体調ではなかったが、何もしないというのもそれはそれで「このまま一生終わるのかな」のようなぼんやりとした不安が脳裏をよぎるのだ。その不安を消すように無理強いして社会に出るトレーニングを行うも、結果的に電車内でパニック発作を起こすことになる。会社の朝会でも立つことが困難な状態になった。

やっぱり今まで通りに生活することはできないのかな、と思った。以前より焦燥感は無く、少しだけ社会復帰できない自分を受け入れ始めていたように思う。

発症から9週間後

再度抗鬱剤の量が増える。1日4錠,上限の100mgに達した。これ以上薬を増やすことはできない、という事実に不安を覚える。
この時点で、出勤できるようになるまでには一ヶ月かかるとの診断を受け、実家にまた舞い戻ることになった。何時まで経っても社会復帰できないことに対する苛立ちや焦燥感が満ち溢れ、再度うつ症状が出始める。まだ治らないとおばあちゃんに電話で伝えたところ、また泣いてしまっていた。しかし実家に戻った時はおばあちゃんは喜んでいた。まだ社会に出るには早いとおばあちゃんは判断していたし、これだけ実家でゆっくり過ごせるのは高校卒業以来なので、実家を離れるのは少々寂しかったようだ。改めて、おばあちゃんがいなければ俺はどうなっていたのだろうと考える。

発症から11週間後

抗鬱剤を増やした効果は絶大で、ご飯は美味しく感じるし量も食べられるようになった。散歩をして近所の人と会話をするのが楽しみになった。

その反面、離人症に悩まされるようになる。以前は一歩も外に出られず、家族以外の人と会話をするときは緊張で手足が震えた。今思い出せば対人恐怖症のようなものなのだと思う。そのようなこともあり、外に散歩に出かけ、近所の人と会話をするということが以前の自分からは全く考えられないことで、現実感を失ってしまった。肉体的な痛みは無いものの精神的には辛い。自分が自分じゃないような、ここが現実ではないような気がするのだ。自分を後ろから操作しているような感覚に陥る。キャラクターが自分のゲームをプレイしているかのようだった。
離人症に悩まされている間、自殺願望とはまた違った「死」を考えていた。ここは現実では無いのだから、いざとなれば死んで終わりにしてしまえば良い、と考えるようになる。目の前の現実に対する愛着が無いのだ。

発症から12週間後

一人暮らしで、日常生活は支障ない程度に回復した。幸い離人症の症状は酷くなく、二週間程度で消えたため一過性のものだったのだろう。
この後もリハビリとして日常生活と、電車や人ごみの中に行くという日々を繰り返す。
また、会社の人事部の方との面談を何度か行い、復職について打合せをする。復職が現実味を帯びてきた。
この時点でも、外出時にはワイパックス(抗不安剤)は欠かせない。近くのスーパーに買物に行く際でも必ずワイパックスがポケットに入っているか確認しなければならなかった。

発症から14週間後

電車にもほぼ慣れ、精神的にも以前と同じ程度まで回復し、残り少ない休職期間を謳歌することができた。釣りや自転車などアウトドア系の趣味に手を出すなど、以前よりアクティブになる。並行して会社の朝会にちょくちょく顔を出すようにし、会社の雰囲気に体が慣れつつある状況だった。
ぐんぐんと体調が良くなっていくのを日に日に実感できる充実した期間を過ごした。

この頃、電車に乗っている時、ふと自分がパニック障害であるということを忘れた瞬間があった。その瞬間に気づいた時は期待感でいっぱいになった。もう少しで、発症前の自分に戻れるんだ、って。

発症から16週間後

念願の復職。
フルタイムで働くわけではなく、土日に加え水曜日休みで短時間勤務。働き方に融通が利く会社であることに心から感謝している。そもそも病気になって突然4ヶ月も休職していたのに、会社に、それも以前と同じチームに籍があるということが本当にありがたい。

一度は別世界に行ってしまったがまた元のところに戻ってくることができた。
たくさんの人が「おかえり」と言ってくれたことがたまらなく嬉しい。

まとめ

ひょっとしたらパニック障害でググってこの記事に到達する人が出てくるかも知れないけど、そういう人たちに伝えたいのは、パニック障害は治る病であるということ。
(俺もまだジェイゾロフト100mg飲んでるから治ってるとは言えないけど。)

症状が酷いときの俺はこの不安は一生続くものだと信じて疑わなかった。それで死んだほうがマシだという思考になったのだ。怖くてパニック障害のことをネットで調べるのはずいぶん症状がよくなってからだったな。もしネットに「治らない」とか「社会復帰は困難」とか書いていたらどうしようって、とにかく何もかもが不安だった。その後ネットで調べてみて、パニック障害は治るとは書いてあったのだけど、それでも信じられなかった。湧き水のようにボコボコと心の底から湧いてくる不安が消えるなんて信じられなかった。だけど、今はかなり不安は和らいだ。


それに病気になってつらい事がたくさんあったけど、良いことも結構あった。こんなにつらい病気があるんだって視野が広がったし、家族や友人や会社の方達にどれだけ支えられたか強く感じ取ることができた。考える時間もとにかくたくさんあって人生観や死生観、その他様々なことを考えることができた。家族と数年ぶりに長い時間一緒に過ごせた。リハビリの一環で少し遠出をして、恩師やお世話になった人たちに会うことができた。今後の人生の中で、今回のパニック障害みたいに、いつかは思いも寄らない病気を患うこともあるだろうなーという覚悟めいたものもできた。


パニック障害にならなければこれらを感じることはできなかったんじゃないかと思う。病気になって良かったとまでは言わないけど、今ではこれも一つの"良い"経験だと思えるようになった。死にたくなる気持ちも痛いほど良くわかるけど、それらも含めて良い経験だったな、と思える心地良さも体感して欲しい。


だから、今パニック障害で死にたい人は、もう少し待って。お願いだから、もう少し。




追記
パニック障害になった(予後編)
パニック障害になった(予後編その2)