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書評:貧困の現場

貧困の現場

貧困の現場

貧困の現場を見たことがある人は、一体どれだけ世の中にいるのだろう。
幸か不幸か、自分は貧困の現場との接点がある。

生活保護を受けている知人が二人いる。一人は60歳近いのおじさんで、若いころ家を飛び出して以来30年ずっと根なし草なし生活、寝床はドヤや工事現場のプレハブ小屋で、3畳ぽっちの部屋を転々として過ごしている人だ。その生活に限界が来て生活保護を受けた。もう一人は同年代の女性(26)で、家庭環境が悪く施設での生活を経た後、そのような出身のせいか就職出来ず、アルバイトで食いつなごうにも激務に次ぐ激務で生活保護を受けるに至った。

本書はそのような貧困、それ以上の貧困の現場を目の当たりにさせられる、強烈な一冊だ。


しかし意外だったのは、上記に上げた貧困とはまた性質が異なり、家庭環境が良くても、頭が悪くなくても、ちょっとした躓きで貧困層に陥るケースが多々あることだ。そのような落とし穴に落ちたら、抜け出すのは非常に困難になる。アルバイトで安くこき使われ、アルバイトなのにサービス残業を強要。アルバイトを辞めようとすると「他の人を用意してから辞めろ」「人を雇い直すには金がかかる。50万払え」といって辞めさせないということがまだまかり通っているのだ。正社員になったらなったで今度は名ばかり管理職。一日の労働時間が18時間を超えるという劣悪な労働環境。それを休みなしに連続20日以上続けるというのだから、想像出来ない。

単に強烈な貧困の記録、というわけではない。なぜそのような貧困が起きるのかという分析は非常に素晴らしく、「貧困は治せる」という希望を抱くことができる。

希望を抱く。それすらもできなくなった状況に追い詰められた貧困層が求めるものは、仕事。お金が無くて求めるのは仕事というのは日本人特有だという。それが本当かどうかはともかくとして、現実問題仕事を探すにもお金がいる。履歴書代や電車代、少しまともな会社ならスーツも必要だ。そのお金を用意出来ない彼らは生活保護にすがるも、そう簡単に受給できるものではない。だから彼らは現状維持で激務の仕事をこなして口に糊するしかないのである。

彼等が悪くないわけではない。貧困層の彼らはもっと良い生活を送るために選ぶべき選択肢があったはずだ。サービス残業に立ち向かうことも、名ばかり管理職になる前に察して職を変えることも、何か資格を取ることだって出来たかもしれない。職にありつけないという声がある一方で世の中に数多の職があるのもまた事実であり、その多数の中から激務薄給の職を選んだのは多くの場合彼ら自身である。それは、自己責任であるという意見は本書の読後も変わらない。

しかし逆に、この世の中は職以上に人間が溢れかえっている。
「選択肢を間違った彼らが悪い」と非難することは簡単でも、全員が間違いのない人生を送ることをなんて不可能だ。


生活保護で助かる人がいる一方、生活保護は財政を圧迫している。不正受給の問題もあるし、受給日にはパチンコ店に行列ができるなんて話はザラにある。もっと効率の良い方法はないのだろうか?

例えばインフラ。水道代や電気代が今の1000分の1になったら、貧困層だって毎日お風呂に入れる。暖房も入れられるから凍死することも無い。それらを実現するためには科学技術の発展が不可欠であるが、科学に投資して未来の貧困層を助けるというのも現代に生きる我々の役割だ。弱者を救ってなんになろう?効率で言えば未来に投資したほうが断然効率が良いのではないか?

しかし未来に投資したほうが良いと思っていても、そう割り切れないのが人間。貧困の現場を見るとその気持ちは大きく揺らぐ。想像上の中の貧困にあえぐ人を切り捨てることは簡単でも、目の前の人を切り捨てることはできない。貧困の現場を見ると、ある感情が沸き上がってくる。

この人を救いたい、と。

未来に投資すれば未来に生きる人々をたくさん幸せにできるかもしれない。しかし、まだ産まれてもない未来の人々を救うより、目前の困っている人を助けたい。そう思うのは人間として自然なことではなかろうか。


今はまだ人々は貧困に陥るし、貧困から抜けだそうと藻掻いてもなかなか抜け出せる世の中ではない。貧困層を救おうとする側もまだ藻掻いていて、救えているような状況ではない。しかしそれでも、いつか、貧困が無くなる日がやってくるに違いない。人間ならきっとできる。

貧困が無くなった暁には、本書とは歴史の資料という形で再会したい。