書評 - 羆嵐

羆嵐

羆嵐

本物の、恐怖。

北海道の三毛別地方を舞台にした、開拓民が羆に襲われるお話。


タイトルに羆嵐とはあれど、実は羆の登場シーンは少ない。いや、ほとんど無いと言っていい。しかしそれでも本書からは野獣の匂いが絶えず、強烈に漂っている。思い返せば、悪臭漂う本だった。獣の匂い。血の匂い。硝煙の匂い。通夜の匂い。冬の北海道だけあって腐臭が無いのは不幸中の幸いだった。

羆の被害については、引用して文章を書くことが憚られるほど凄惨さを極める。たとえば、羆に襲われて殺されるだけでも恐ろしいのであるが、その襲われた家族の亡骸をエサとして放置するようなシーン。亡骸のそばにいると羆に襲われるからだ。果たして、どれだけの恐怖に押し付けられればそんな決断ができるのだろう。

羆は神出鬼没である。どこに羆がいるのかわからない恐怖。ここにいると殺されるのではないかという重圧。その点に限って言えば、彼等にとっては羆の痕跡だけでは恐怖を煽られるのみであり、羆がとある家屋内にいるとわかった時は安心感すらあると述べている。

圧倒的な力を持った羆の前では、討伐隊が持った槍や日本刀がなんと心細いことか。いや、銃ですら心許ない。それも手入れが不十分なものならなおさらである。私見ではあるが、このような例があるのなら、日本で猟銃の経験が 10 年以上ある場合に限りライフル銃を所有できるという現行の制度には賛成である。

そして何より本書の恐怖を掻き立てるのは、これが史実だということである。三毛別羆事件が元となり本書が記された(Wikipedia の記事)。Wikipedia の記事そのものが本書のあらすじなのであるが、それだけに、閲覧注意。食事中は見ないことをオススメします。

本書の文体は抑揚に欠け、文章力も少々欠けていると言わざるを得ない。本書の出版年が1982年と、今から約33年前なので現代人が求める文体と異なるかもしれないが、文章から情景を思い浮かべるには今一歩足りないのである。だが、こと本書に限っては、恐怖を伝えるという点ではその文体が正の方向に働く。それもこの物語が史実に基づいているからに他ならない。まるで、ある程度肉付けされた年表を見ているような感覚にさえ陥る。


恐怖の塊。それに尽きる。一度読み終えたら、二度目は読めない。
真に恐ろしいのは幽霊でも人の心でもない。羆だ。