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パニック障害になった 予後編 その3

生活

パニック障害を発症してから 5 年と半年ほど経過した。SSRI (いわゆる抗鬱剤)の服用は何年も前にやめて、今は極稀にワイパックス(抗不安剤)を服用するだけになっている。

ほとんど完治したと言って良いと思う。この記事のタイトルも、もともとは「完治編」として記していたくらいだ。完治編を書いて、僕は自身の病についてケリをつけようと思っていたが、つい先日少し精神的に参ってしまうことがあったので、完治編はもう少し未来への楽しみとして残しておくことにした。

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今思い出せば、あの頃の僕は死と強く抱擁していたような気さえする。死という観念が実体となって僕の眼前に現れてきて、触れることさえできた。僕が考えるあらゆることの中では「死ぬこと」が支配的になっていたし、拳銃があれば僕は間違いなく死んでいた。当時は、僕の身体は密度がずいぶんと低くなっていて、鏡の中の虚構と入れ替わったみたいだった。

とはいえ、そう思いながらも時間がゆるりと過ぎていって、僕の中の生と死のうち生のほうが優勢になってきた。

薄暗い闇をライトで照らしたら明暗がよりはっきり分かれるように、僕の中に死が舞い降りてきたことによって生の部分もより強くなった。か細くも、生命力を指先まで宿していた。生き生きとしていたわけではないし、エネルギーに満ち溢れていたわけでもない。それでも、僕の心臓を源流として、生命力が僕の肉体の隅々にまで行き渡っていた。モノに触れる感覚や熱を感じること、痛みを感じること、それらは即ち僕に命が宿っているということの現れだった。

当時は「時間の流れを感じることができる」という感覚器官も病気と一緒に僕の肉体に埋め込まれたように思う。こんなに僕はつらいのに、世間は相変わらず太陽が登って落ちて、電車はせっせと毎日動いて、コンビニの明かりは疲れ知らずみたいに煌々と輝いていた。それがなんだか可笑しくて、悲しくて、誰も僕に気づいていないような気がするときもあった。そんな時は、時間の流れが無常な冷たい風みたいに僕の肌を撫でながら過ぎ去っていく感覚を覚えた。

今ではもうすっかり普通の日常を送っている。電車だって床屋だってへっちゃらになった。とはいえ飛行機は恐いし、人の顔色も恐い。地下鉄に乗っていて電車が駅ではないところで停車した時なんかもやっぱり恐い。でも、それでももう普通の日常なのだ。恐いものがあるのは人間だから当たり前で、蜘蛛や雷が苦手な人とほとんど同列の問題でしか無いのだ。それにある意味では、僕はパニック障害が完治しようがしまいが、もうどうでもよくなってきている。あの猛烈な不安を知った後では、元に戻ることは困難だろうという諦めもある。僕としてはうまくこの不安を制御し、日常生活を送れればそれで満足だ。

パニック障害はつらい。この不安と一生を共に過ごしていくのかと思うと身震いする。しかし、パニック障害という病気やこの環境、運の悪さみたいなものを恨み憎しみながら生きるのは、もっとつらいのではないか。だからそうならないよう、病とうまく共存出来るよう心がけている。

僕は、何かを恨むことは不幸度の増加量が大きいという価値観を持っている。それに重きを置いているから、例えば、僕がパニック障害になったことは別段大きな不幸ではないのだ。


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