書評:1Q84

1Q84 BOOK 1

1Q84 BOOK 1


ノーベル賞を取り逃がしたというニュースで思い出したので。

本書 1Q84村上春樹による長編大作。

いやはや、世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド, ねじまき鳥クロニクル でハマったハルキワールドここに再来せり。ねじまき鳥のあとはスプートニクの恋人海辺のカフカ(これは良かったが)、アフターダークと来たので「もののけ姫以降の宮崎駿」状態になってしまったのかと内心悲しんでいたが杞憂に終わった。まるで力は衰えていない。


あらすじは Wikipedia に任せるとして、本書は"現実の世界"と"1Q84"の2つの世界がある。通常、我々が物語を読む際は当然、物語として読むわけであるが、本書の場合、登場人物達にとって 1Q84 という別世界があることによって、我々の現実と登場人物たちの現実が近いものになる。そのような感覚に陥ると一層 1Q84 の世界の奇妙さ ――あるいは現実との近縁性――が浮き彫りになる。

これについては、青豆とタマルの興味深い発言がある。

「でもこれは物語じゃない。現実の世界の話よ。」


タマルは目を細め、青豆の顔をじっと見つめた。それからおもむろに口を開いた。
「誰にそんなことがわかる?」


果たして、誰にそんなことがわかるのだろうか?タマルは、2つの月を見ていたのだろうか?



そしてもう一つ。村上春樹作品の持つ、スムーズな物語の終わり方。悪く言えば、オチの無さ。

本書に限らず村上春樹作品の読了後は薄い読了感で若干満たされなさもあるのだが、その満たされなさが肉体にまとわりついたかのように長期間離れず、自身もハルキワールドに少なからず入ってしまう。で、結局はその感覚が心地よく、少し時間が経つとまたねじまき鳥クロニクル1Q84を読み直したくなってしまうのだ。


他の村上作品と同様、1Q84 もまた登場人物が魅力的だ。青豆や天吾はもちろんのこと、タマルや老婦人、ふかえり、そして牛河。どの人物の描写も細かく、まるで生きているかのように、それこそ少し集中すれば匂いまで嗅ぎ取れるのではないかと思うくらいに生々しさを兼ね備えているのだが、不思議なことに同じくらいに現実味が無い。全く不思議ではあるが、この感覚を味わえるのもまた村上春樹の才能によるものだろう。



少なくとも自分の周りでは村上春樹は好みの分かれる作品ではあるが、もし好きであるのなら、1Q84 は読まない手は無い。