親に iPad をプレゼントして得たものは

3 年ほど前、親に iPad をプレゼントした。

そもそもの始まりはこちらに記してあるが、親が買い物弱者になる前に IT リテラシーを育てておいて、車が運転出来ない年齢になってもインターネットで日用品やらを調達できるようにしておいて欲しかったのだ。
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僕の両親は栃木の田舎で生活している。スーパーやコンビニは実家から徒歩で通うには厳しい距離にあり、今は車を運転できるからなんとかやっていけている。でもいずれ必ず、年齢と共に身体が衰えて車の運転ができなくなる日がやってくる。そうなった時、僕の両親は、あの井戸の底のような田舎でどうやって暮らしていけば良いのだろう?ほっておけばいずれそんな未来がやってくることは明白だ。だから、iPad をプレゼントして IT リテラシーを高めることにした。

実家の居間に 1 台置いてあれば、テレビを見ながら調べ物をしたり母親が料理をするときに使えるかなと思って買ったのだけど、すっかり父がハマってしまってほぼ独占してしまった。父は YouTube でそば打ちを学んだり、ニュースで出た無名の国がどこにあるのかを調べたりしてるみたいだ。結局、実家に 1 台という予定だった iPad は思わずして父が占有したので、母があまり iPad を使えてない状況になった。iPad はコストパフォーマンスは良いものの値段的には安いものではないので、さすがに母親用の iPad まで買うのはちょっと、と悩んでいたのだけど、結局は母親にも iPad をプレゼントすることになった。これについてはひとつ思い出がある。

母方の祖母が亡くなる少し前、母は毎日のように祖母のいる特別養護老人ホームに通っていた。もうその頃の祖母はすっかり寝たきりで、呼びかけてもほとんど反応はない状態だった。そんな祖母に、母は、らくらくスマートフォンで祖母が好きだった美空ひばりYouTube で見せていたようだ。でも画面は小さいし、電波事情もいまいちで映像が途切れ途切れになると嘆いていた。そこで「よし、これを iPad で解決しよう」となったわけだ。iPad を買って、各種設定して、YouTube をオフラインでも観れるアプリを入れて、美空ひばりの「川の流れのように」とか「愛燦燦」とかを観れるようにして、祖母のところへ持っていった。

母は朦朧とした祖母に向かって「おかあちゃん、おかあちゃんの好きな美空ひばりだよ」と言って「川の流れのように」を再生して見せた。そしたら、普段はほとんど反応の無い祖母が美空ひばりに向って手を伸ばそうとするような反応があって、いやはや僕たち 2 人はなんとも驚いた。ひょっとしたら、脳の奥底に眠る古い記憶が呼び起こされたのかもしれないな。母も、祖母に向かって美空ひばりを大きな画面で見せることが出来て満足気だった。なんだか僕は、この瞬間だけで、iPad の値段分の元は取ったかな、という気持ちになった。

そうして僕の両親は 1 人 1 台の iPad を持っている。僕の目論見だった IT リテラシーの向上という点では、両親は僕の期待を超えてくれた。おそらく、明日から両親が何らかの事情で家から出られなくなったとしても、モノの購入という点ではそれほど不便なく生活できるだろう。Yahoo で調べ物をして、必要なものを Amazon で取り寄せる。それが出来ると出来ないでは、さなぎと蝶々みたいに驚くほどの差がある。

FaceTime についても思い出がある。1 年ほど前、僕はヒッチハイクで旅をした。およそ 8 日間ほどかけて三重-広島間を巡ったのであるが、旅の終盤、僕は愛媛県松山観光港にいた。松山では僕の仲間が僕の来訪を受け入れてくれて、観光資源も素晴らしく、ヒッチハイクや路面バスなんかで出会った方たちみんなが親切で心が豊かな人たちだった。僕は充実した気持ちでいっぱいだった。次の目的地の広島へ向かおうと松山観光港にいた時、フェリーの時間を調べずに行ったらたまたま結構待ち時間が出来てしまって、僕は、海辺が見えるデッキで少し早めの夕飯を食べることにした。天気が良い日だった。

しばらく時間があったのでデッキでのんびりと過ごしていたら、海と興居(ごご)島に向かって夕陽が落ちていった。空の色がゆるやかに変わり、終わりのないグラデーションみたいな色になった。上品に輝く太陽が沈む頃、空には黄金が浮かんでいた。藍と朱に囲まれた黄金の色。世界で一番美しい色だ。それを眺めながら、これ以上無い贅沢な時間、何も考えない時間を過ごした。ふと我に却って僕は思い立った。そうだ、家族に電話してみよう。フェリーまでたっぷり時間はある。僕は iPhone を取り出し、実家の iPad に向けて FaceTime を発信した。

発信中の画面がさっと切り替わって、僕の iPhone の画面に家族みんなが居間にいるところが映った。この旅が始まってからは初めて家族と会話したから、家族は僕の顔を見てすぐ「日焼けしたね」と言ってきた。「今どこにいるの」「ヒッチハイク、危なくないの」というやりとりをした後、僕は家族に松山観光港の夕陽を見せた。僕の掌の画面の向こうにはしばらく帰っていない 1000km 向こうの実家があって、家族がいて、松山の夕陽を見ては「わぁ、きれい」と言っていた。同じ時間を共有する感覚。存在感。僕が見た黄金の色。FaceTime はそれを伝えてくれた。

iPad は安くない。特に、iPad を手にする以前の両親なら「あんな金属の板みたいなものに 5 万円も払えるか」って言うはずだ。でも今なら、少なくとも僕の目には十分に価値を理解してくれている。普段の生活が便利になることはもちろんだし、美空ひばりや松山の夕陽の思い出もできた。そしてなにより、買い物弱者になる未来を回避したということが僕と両親にとって一番大きな得たものだった。