鴨川、伊勢海老、父の還暦祝い

父が定年を待たずに退職し、農業や釣りを楽しむ人生を送りはじめたのが今から三年前。近所の那珂川で鮎釣りをしたり様々な農作物を育てたり、養蜂をしたいと言い出してニホンミツバチを採取に四苦八苦したりと、それなりに楽しんだ人生を送っているようだ。

そんな父がもうすぐ60歳を迎えることになった。これを機に、家族旅行に行くことにした。


最後に家族旅行に出かけたのはもう10年以上前、横浜のインターコンチネンタルホテルに宿泊した時だ。良いホテルに泊まったものだが、母親が知人からもらった割引チケットを使ってかなり安く泊まれたということをしきりに言っていた。当時僕は中学生だったからホテルの良し悪しなんてわからず、ただひたすらランドマークタワーを見上げて驚き、大道芸を見て歓声をあげていた。実家はド田舎で、100m 先のネコの喧嘩している声がカエルの鳴き声に混じって聞こえてくるような生活をしていたその時分だから、みなとみらいの夜の明るさにはなんとも眼を見張ったものだ。この思い出を最後に姉は家を出て東京の大学に行き、家族全員での旅行はそれで最後となった。

僕はお祝いごとにはあまり敏感ではないのだけど、還暦を迎える父を無性に祝いたくなったのは色々と理由がある。還暦は人生の節目の中でも特に大きいものだと思うし、自分が学生のころ高い学費を払うだけ払ってもらって、結局は別段活用できなかったことを今になって反省しているので少しばかりは返還したかった。今は無事に自立出来ているから、ちょっとばかし豪華な宿に招待して親にカッコつけたかったという思いもある。でも、それらの理由はきっと後出しジャンケンみたいなもので、やはり家族だからという根底の思いが一番強かったのだと思う。

あれこれ悩んで知人たちに相談し、鴨川の蓬莱屋という旅館に行くことに決めた。張り切って一ヶ月以上も前に予約をして、家族旅行ということを伝えたらパンフレットを1部だけじゃなく家族分送ってくれて、そのパンフレットだけで親は大いに喜び、居間のカレンダーに大きく「鴨川」と書き込んでいた。

いよいよ当日を迎え、鴨川に集まり、還暦祝いが始まった。結論から言うと、素晴らしい体験であった。部屋も食事もお風呂もサービスも素晴らしく、申し分ないお祝いができた。

いざ食事の段になって、僕が乾杯の挨拶ということで改めて父に「還暦おめでとう」という言葉を、なるべく湿っぽくせず笑えるようにしながら伝えた。その後プレゼントを渡して、さて父から一言、という時にはもう父は顔がくしゃっとなっていて、赤らんでいて、声を詰まらせていた。食事は伊勢海老のお造りやこれでもかというくらいの巨大な鮑の網焼きなど豪華絢爛なもので、僕はいままで正直旅館やホテルの食事が手放しでおいしいと思ったことは一度もなかったのだけど、ここ蓬莱屋の食事はすべてが美味しくボリュームもたっぷりで、いやはや贅沢な時間を過ごすことができた。両親は胸がいっぱいだったのか、あまりたくさんは食べられなかったようで少し残念だったのだけど、それもまた一つの良い思い出となった。

その後も部屋でワイワイと盛り上がって、お風呂を楽しんで、朝ごはんもまた贅沢で量もたっぷりあり、伊勢海老のお味噌汁やその他いくつもの小鉢があって「何回かに分けて食べたいね」みたいなことをしきりに言い合い堪能した後、宿を出た。宿を出るときにはスタッフの皆さんが見送りしてくれた。二年後に控えてる母親の還暦祝いの時に、今回と同等かそれ以上の想い出を作ることができるのか、今から心配だ。

お金はもちろん兄弟で出しあった(あまり稼ぎが多くないであろう妹の分はある程度僕が持った)。安くはないけど、高くもない。今回得たものは、いくらお金を積んでも手に入らない類のものなのかもしれないから。

ひょっとしたら、人生で一番良いお金の使い方をしたかもしれないな。きっとそれを親に言ったらもっと自分のために使えって言うだろうけど。でも、父を満足させたということで僕の心が満たされたのだから、それは自身のためにお金を使ったとも言える。だから、これでいい。