書評:楽園の泉
- 作者: アーサー・C.クラーク,Arthur C. Clarke,山高昭
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2006/01
- メディア: 文庫
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かくも美しきかな、軌道エレベーター。
アイディアは昔からあるが、未だに到底実現不可能なモノ、軌道エレベーター。全長 36000km の宇宙と地球を結ぶエレベーターというだけでその困難さが伺える。
本書は、軌道エレベーターの実現に向けて主人公であり技術者であるモーガンが奮闘するというストーリー。
いやはや、後述するように軌道エレベーターにまつわる問題は山積しているのだが、こうも美しいストーリーになるとは。アーサー・C・クラーク御大の筆力には脱帽せざるをえない。「宇宙に向かう人類」というテーマ自体はありふれているが、本書はその中でも際立って光る一冊なのは間違いない。
軌道エレベーターで何より問題なのは、素材。いや、正確に言えば巨大建設に憑き物の政治的問題や土地買収等の領土問題、テロ対策などいくつも問題はあるのだが、まだ2012年に生きる我々はそれらの問題まで到達していない。したがって、当面の問題は36000kmもの自重に耐える強度を持った素材なのだ。1979年に発表された本作に出てくる素材は連続擬一次元ダイヤモンド。で、更にこれをテーパー状にすることで解決していた。しかし、今の我々は本作に出る連続擬一次元ダイヤモンドよりも強力な素材を知っている。
カーボンナノチューブ(CNT)は、その名の通り炭素のみで構成された筒。SFや近い界隈が好きな人にとっては常識的なまでに有名な素材。しかし改めて見てもその物性には目を見張るものがある。「鉛直方向にぶら下げて破断せずにどこまで自重に耐えられるか」を表す破断長は鋼鉄でおよそ 50km。ケブラー繊維で 200km。一方 CNT の場合は 10000km を超えると言われている。軌道エレベーターの素材として使えるには 5000km 程度の破断長が必要なので、CNT なら理論上では軌道エレベーターの素材として耐えられるということがわかる。さらに現在は CNT の破断長を超える素材、コロッサルカーボンチューブという素材も発見されているようだ。少なくとも、素材の問題は少しずつ解決に向かっている。
とは言え、そのすぐ次には生成の問題が立ちはだかっている。CNT はまだ軌道エレベーター長の 36000km どころか、数十mm の連続したチューブの生成すら怪しい。連続したチューブでなければ引張強度が激減するのは目に見えている。
このように問題が山積していることがわかっても、軌道エレベーターにはなお心を惹かれてやまない。「宇宙まで行けるエレベーター」にワクワクするのなら、それだけで本書を読むべきだ。
本書はこの軌道エレベーターの用地購入から軌道エレベーターの建設、運用までを描いたサイエンス・フィクション。軌道エレベーターモノの名作として知られる本作は、アーサー・C・クラークの名作としても名高い。そして本書の舞台のモデルはアーサー・C・クラーク博士が愛した土地、スリランカ。本書が記された時、博士は御年60。彼はどんな夢を見ながら彼の地スリランカで軌道エレベーターの物語を描いたのだろう?
博士の夢がそうさせたのか、本書の物語は実に美しい。
主人公モーガンが遭遇する問題すら、美しさを構成する要素に思えるほどに。
残念なことに博士は既に亡くなっている。
だが、軌道エレベーターの夢は潰えていない。問題が山積みでもなお、ロケット打ち上げをせずエレベーターで宇宙に物資を運べる事は非常にコストパフォーマンスが良い。今はまだ軌道エレベーターは夢物語ではあるが、この現実世界に本書の主人公モーガンのような人物が現れ、軌道エレベーターを実現するのはあと100年もかからないだろう。50年もかからないかもしれない。
今は興味軌道エレベーターに興味がなくとも、今のうちに予備知識を入れておくことに損はないだろう。
少々楽観的に見れば、自分が死ぬ頃までには軌道エレベーターは完成しているかもしれないのだから。