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学問のすすめ 現代語訳

1万円札の人は伊達じゃない。


130年も前に出版されたこの本、名著と言われるだけある。これほど先見の明を感じることができるのは出版された時より遥か未来の今本書を読めるからか。

「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」という有名な一節しか知らなかったのだけど、これはこの一節を知るだけではダメだ。続きも知らないとね。つまり、「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず。そのはずなのだけど、世の中を見ると人の上に人がいて人の下に人がいる。何故このような差ができるのか?それは、智の有無によるものである。智の無いものは愚かなものである。愚かなものにならないためには学問を学ばなければならない。」ということだ。

学問のすすめというタイトルは内容と若干差を感じる。なぜなら学問だけでなく学問を通して人の生き方を説いているから。純粋に学問をすすめるということに関しては本書よりご冗談でしょう、ファインマンさんのほうが遥かに魅力的だ。ファインマンが楽しそうだから。

本書が学問を通して説く人の生き方は現代でも十分に通用する。130年間の差をほとんど感じない。これは福沢諭吉に先見の明があったからなのか、それともこれらの問題はどれだけ年数が経過しても本質的に変わらないのか?差を感じるのは当時の時代背景くらいで、重要な点は現代と同じだ。


さてこの本、どうにも気持ち悪い。この気持ち悪さの原因は愛国心の押し付けにある。当時の日本ではお国のために働くことがなにより有意義なことだったに違いない。なぜこれだけ愛国心を押し付けるのか?おそらく本書が出た当時はそれだけの魅力が日本にあったのではないか。日本人が一丸となれば最強国家に手が届くと感じていたのではないか。

しかし130年後の現在では愛国心はもはや古い観念になってしまっている。たぶん、ITと金融の発展によって愛国心が希薄になってしまったのだと思う。

「お国のために」は人を束縛させる。人は産まれた国や場所によって生き方を束縛されるべきではない。ITは国境の差をゼロへ近づけ、お金は地球上のほとんどの場所で力を持つ優れたツールだから。国家のために生きることはそれはそれでとても結構なことなのだけど、資本主義の世界でもっと自由に生きていくのも良い。


この一節一節はとても立派なことを書いているけど全体として少しズレを感じるこの感覚、何かに似ていると思ったら、わかった。「部下の哲学」と同じだ。お上に従う、というよりはお上を慕うことが使命であるかのような様はとても似ている。

それを差し引いても良書であることは間違いない。

学問のすすめ 現代語訳 (ちくま新書)

学問のすすめ 現代語訳 (ちくま新書)